エリオット波動とは、株や為替の波形が、5波の推進波と3波の修正波を一括りとするサイクルで成り立っていると考えるテクニカル分析の一つです。
ラルフ・ネルソン・エリオットによって、1938年に発見され、その研究が進められてきました。
エリオット波動の概要や基本的な使い方については、別記事にて紹介しています。
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今回は、エリオット波動を発見したラルフ・ネルソン・エリオットに焦点をあてて解説します。
もともとは会計士だったエリオット
エリオット波動を発見したラルフ・ネルソン・エリオットはアメリカ・カンザンス州生まれ、テキサス州サンアントニオ育ちのアメリカ人です。
1890年代半ば、20代で会計士として仕事に携わり、主に中米やメキシコの鉄道会社を点々としていました。
時には役員という大役を得ることもあったようです。
そこから優秀な人物だったことが伺えます。
1903年、エリオットが30代の時に、メアリー・エリザベス・フィッツパトリックと結婚します。
1924年、エリオットが50代の時に、米国国務省はエリオットをニカラグアの最高会計士のポストに任命しています。
ニカラグアとは、カリブ海に面した国で、北にグアテマラ、南にコスタリカに囲まれた国です。
その任命の背景にはニカラグアが当時、アメリカの占領地であったことがあげられます。
このころにエリオットの専門的な経験を世に残すために、2冊の本が出版しています。
1冊は、「ティールームとカフェテリア管理」、もう一冊は「ラテンアメリカの未来」です。
この2冊は株式や為替とは全く関係がなく、エリオットの完全な趣味の領域の本だったとされています。
しかし、この当時の本の出版は、現代と比べるとかなりハードルが高い行為であることが予想されます。
この当時に本を出版できるほど、エリオットが会計士を通して経験したことは、価値があったことが伺えます。
その後も、メキシコや中央アメリカなどで仕事を点々とした後、重病を患い、58歳で退職を余儀なくされます。
重病を患った療養生活から株式市場の研究へ
重病を患った後、エリオットはカリフォルニアの自宅で療養に入ります。
この頃から投資家としての活動をはじめたようです。
1930年代初頭頃からは、株式への投資の傍ら、株式市場に関する研究も始めたようです。
その手法は、過去75年間分の月毎、週毎、日毎あるいは30分毎のチャートを読み込み、相場の動きを観察、分析するものでした。
今から100年以上も前に、そのようなデータを集めること自体大変手間をとることだったことでしょう。
また、そのような膨大なデータを分析することにも、勤勉さと忍耐強さが必要だったと予想できます。
エリオットはその観察力の高さから、株式相場が予測できない波形が連続しているのではなく、ある一定の法則に基づいて、チャートが動いているのを発見します。
エリオットは、株価のチャートに繰り返し出現する13パターンの波形を抽出して、それぞれを定義し、図解していたようです。
また、それらのパターンが個々ではなく、各パターンがランダムに繋がって様々な相場の波形を示していることを突き止めました。
エリオットは個々のパターンの波形が繋がり、一見すると不規則でも、一定のパターンがある波形の原理を「波動原理」と呼称していたようです。
エリオット波動の発見
その発見を体系的にまとめ、1938年にチャールズ・J・コリンズと共著で本を出版しました。
この本で紹介されているのが、エリオット波動理論です。
その本のタイトルは、英語で「The wave principle」で、エリオット波動という直接的な表現でありませんでしたが、このチャールズ・J・コリンズと共著で出版した本が、後にエリオット波動理論を支え、その名を刻むことになります。
1938年といえば、第二次世界大戦が始まる一年前のことなので、もしあと少し出版が遅れていれば、本の出版自体ができなかったかもしれません。
フィボナッチ数とエリオット波動
エリオット波動において、相場の動きは一見すると、無作為に動いているように見えるけれども、実は一定の法則があることを説いてます。
そのキーポイントとなるのは、フィボナッチ数列です。
フィボナッチ数列とは、例えば以下のような数の並びをいいます。
「0、1、1、2、3、5、8、13、21、34、55、…」
このように、二つ前の数値と一つ前の数値を合算した数字が次に来る数列をいいます。
この数列はイタリアのレオナルド・フィボナッチが出版した「算盤の書」に記載されたことで有名になりました。
そして、このフィボナッチ数列は別名「黄金比」と呼ばれています。
黄金比とは人間が美しいと感じる比率のことを指しています。
このフィボナッチ数列が株式相場の値動きに関係していることを、エリオット波動理論では説明しています。
エリオットは、出版した本によってエリオット波動理論が評価されたため、ファイナンシャル・ワールド誌という投資家向けの雑誌で、相場予想に関する記事を作成していたようです。
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エリオットの晩年
1940年代初頭、エリオットはエリオット波動理論を集団的人間の行動に適用できるように拡張できるか、さらに研究したようです。
そんな中、1941年には、妻のメアリー・エリザベス・フィッツパトリックに先立たれてしまいます。
このことから、晩年は寂しく孤独な生活をしていたことが予想されます。
そして、エリオットは「自然の法則-宇宙の神秘」という本を最後に出版して、1948年1月15日に亡くなったとされています。
エリオット死後の波動理論の発展
エリオット死後も、その意思はフロストやプレヒタ―といった方々に引き継がれ、研究が絶えることはありませんでした。
フロストやプレヒターは1978年に現在の呼び名である「エリオット・ウェーブ(エリオット波動理論)」という本を出版したとされています。
その本の中で、1980年代の強気相場を予想をしており、それがかなりの確率で的中したことで、エリオット波動が世に知れ渡る起点となりました。
これにより、エリオット波動が後からのこじ付け理論ではなく、真に相場を予想できる理論であることを証明することができたという事です。
まとめ
- ラルフ・ネルソン・エリオットはもとは会計士だった。
- エリオット波動には、フィボナッチ数列が利用されている。
- 投資家になったのは、58歳で重病を患ったことがきっかけ。
- ラルフ・ネルソン・エリオット死後も研究は引き継がれ、1978年に「エリオット
- ウェーブ(エリオット波動理論)」として出版されいる。
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